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モーニング娘。を見に行ってきた話


特に行くつもりはなかったんだけど、前作の時に行くか迷った挙げ句行かなくて後悔したので、モーニング娘。'17のイベントに行ってきた。

わりとゆっくりめに行ったら4階まで人がいっぱいで、やっぱりモーニング娘。は人気なんだなあと思った。見えそうな場所がなくて焦ったけど、広めに場所をとってる女の子たちに話しかけて、間に入れてもらえた。ありがとうございました。特に近くで見たいわけではなかったので、とりあえず見えれば良いかなぐらいに思ってたんだけど、フォーメーションダンスを上から見るのはめちゃくちゃ楽しかった。

とにかくステージから若さとエネルギーが溢れてて、心が浄化された。自分もまっすぐに生きたいと思った。

小学生の時にベリーズ工房のイベントを同じ場所で見たことがあったけど、自分が年をとってメンバーより年上になってしまったせいか、ライブを見ながらしみじみした気持ちになった。ただ、アイドルを応援したいけど、このヲタクの中には混ざれないなぁという気持ちは小学生の時と変わらなかった。笑
テンションが上がったら盛り上がるのも好きだけど、基本的には動かずにステージを凝視していたい。今日は両隣の女性も静かにペンライト?を振ってるだけだったのでゆっくり見たことができた。


近頃は夜な夜なモーニングみそ汁のMVを観ながら号泣する生活を送っていたので、生で聴けて嬉しすぎて涙が出そうだったけど堪えた。最初はモーニングみそ汁ってなんやねんって思ってたけど、聴けば聴くほどこの曲には幸せがつまっている。まさに多幸感。24時に公開されたキャンプファイヤーの映像も観たけど、当たり前に泣いた。本当に心が洗われる。元の曲が良いだけじゃなくて、モーニング娘。'17が歌うからこんなに染みるんだろうなぁ。そういえばこの曲の途中ではるちゃんが後ろに下がるところでさくらちゃんにぶつかって一瞬ひやっとした。後ろを見ずに後ろに下がるって何気に凄いよね。


セトリ
1.BRAND NEW MORNING
2.モーニングみそ汁
3.ムキダシで向き合って
4.ここにいるぜぇ!
5.ジェラシー ジェラシー


無知なので今日始めてモーニングみそ汁が音源に収録されてることを知った。これからは歩きながらでもたくさん聴けるぞ。幸せ。

『神の手』

試験中だけど完全に油断してるので読み掛けだった小説を読み終えた。



いったん″空気″ができあがると、それにそぐわない意見はすべてシャットアウトされる。この国を律しているのは、正義でも理念でも経済でもない。ただの″空気″だ。古くは戦前の軍国主義から、最近の自己責任論やグローバリズムまで、日本を動かしてきたのは、常に社会を覆う″空気″だ。
(久坂部洋『神の手(下)』)


作品自体はフィクションけど、これは確実に現実に言えること。″空気″の恐ろしさというものを常々感じるからこの部分が一番印象に残った。


世の中、医療を扱った小説とかドラマって沢山あるけどあんまり興味ないんだよね。でも久坂部洋の本は医療について何も知らない私でも理解できるし、ストーリーも手が込んでて面白いからすき。天才なんだろうなって思ってる。

友達は定期的に会わなければいけないという考え方

最近悩んでること。世の中には、友達=定期的に会うものだと考えてる人は一定数いるのだろうか。
そう思うのは個人の自由だし、特定の個人の悪口を書きたいわけではないけど、私は同意できない。どんなに好きな人でも、義務的に会う時間を作るような関係にはなりたくない。


これは友人関係に限った話じゃないけど、物事は義務になった途端その価値が低くなるように感じる。自発的にやるから感じられる価値がある。

他の大事なことを犠牲にしてまで定期的に会わないと保てないような関係であれば、私は相手を友達だと認識できない。しばらく会わない時期があっても関係が続くのが友達だと思ってる。


別に友達を崇高な存在だと言いたいわけではない。たまには相手の愚痴を言うことがあっても良いし、お互いに相手の知らない部分があったって良いと思う。相手のことをどれだけ知っているかということと仲の良さというのは必ずしも比例するものではない。
仲が良い友達だからこそ、負担になるような時は無理して会う必要はないし、その分久しぶり会えた時は嬉しい。
これはあくまで私の理想だから、親い人のなかでも違う考え方の人がいるとは思う。仲の良い友達と考え方に相違があるというのは自分にとって結構プラスになると日頃から感じてるけど、そこを負担に感じてしまうような相手がたまにいる。そういう相手とは距離を置くのが賢明かもしれない。

そもそも友達ってなんだろうとか考え始めるとキリがないし、それ以前に友達なんてものはこうして言葉で色々考えて定義付けするようなものではないのかもしれない。

ブスってなんだろう

ブスをブスと蔑むブスほど醜いものはないなと思います。


ブスじゃない人には関係のない話です。


以上です。

小説のタイトルが思い出せない

去年か一昨年ぐらいに読んだ小説が思い出せなくてモヤモヤする。

主人公の女性が小学生の時、クラスメイトの女子4人(?)でバレーボールで遊んでいたら男がやってきて、4人の中で一番可愛い女の子を連れていく。その後、残された3人が帰りの遅い女の子を心配して様子を見に行くと女の子が更衣室で殺されてるのを発見する。
同じく小学生時代、町内の家から人形が盗まれる事案が多数発生。

諸々あり、主人公の女性は同じ町出身の男性と仕事(?)で出会い結婚→海外へ。しかし相手が異常な性癖(人形が好き)をもって計画的に自分に近づき結婚したことを知る。昔主人公の家から人形を盗んだのもこの男。男は人形と同じドレスを主人公のために用意してた。何が起きたかはよく覚えていないが主人公は男を殺す。

小学生時代に一緒に死体を発見した友達のうちのひとりは、兄が姪に性的虐待をしているのを発見、兄を殺してしまう。


他にも断片的には色々思い出せるんだけど、重要なワードも登場人物も著者の名前も出てこなくてわからない。
誰か知ってる方いらっしゃいましたら教えてください。おもしろかったからまた読みたい。

アドベンチャーワールドが凄かった話

先日、和歌山にあるアドベンチャーワールドに行った。パンダをみに行くという話しか聞いてなかったので普通の動物園だと思って行ったら想像よりだいぶスケールが大きくて、クオリティも高くて、充実していた。行った後に調べてみたら、アドベンチャーワールドは動物園、水族館、遊園地が一体になった"テーマパーク"らしい。言われてみれば確かに動物園であり、水族館であり、遊園地だった。どの要素もしっかりしてるのでどれが一番かと言われても分からない。とにかく凄かった。

紐で止まり木に繋がれている鳥が可哀想だと思った。かごの中で羽をバタバタして飛ぼうとしてるのに、短い紐で止まり木に繋がれてるから飛べないみたいだった。私はそれを見て可哀想だと感じたし、かごから出して自由に飛ばせてあげたいと思った。
私は動物の愛護とかについてよく知らないし特に考えもないから、動物園で動物を飼育するのを止めるべきだとかいうことは今まで考えもしなかった。
かごとは言っても家庭で鳥を飼う時に使うようなものに比べたらよっぽど大きかったし、紐だって鳥の身の安全を考慮して付けてるのかもしれない。私が見ていないタイミングで自由にどこかを飛び回れる時間があるのかもしれない。それでもやっぱり、可哀想だと思ってしまった。自分が鳥を飼っていたことがあるからかな。

当たり前な話だが鳥は保険が適用されないので、飼っていた鳥が病気になった時は高い治療費がかかったし手間もかかった。色々な治療を受けた挙げ句、最期は手術後にすぐに死んでしまった。飼い主は獣医に治療費を払い、獣医は飼い主から治療費を受け取り、最善を尽くした(はず)。可愛がってたから、死んでしまった時は本当に悲しかった。
でも、全部人間のエゴなんだとも思う。飼われてる動物からしてみれば、人間に勝手に飼われて、養われて、治療を受けさせられて、死んでいく。どれだけペットのためを想ってるつもりでも、それは人間本位でしかない。
だからと言って、飼わずに放しておくというわけにもいかない。人間が人間中心の暮らしを確立した場所で、生き物達に自立を求めるのは現実的に考えて無理な話だ。となると結局のところ、動物を養い、安全な環境で出来る限りの幸せを提供することが人間の責任なのか。
そう考えると、動物にとっての幸せとは何なのかっていう難しいけどありきたりな問題が出てくる。嫌がってるのに治療を受けさせたり、見た目を可愛くすることが幸せにつながるのか。
人間の子供であれば、嫌々やらされたことでも、大人になってからその意味を理解することもあるけど、ペットの動物の場合はそうはいかない。人間が考える最善がペットにとっての最善だとは限らないが、そんなことは確かめられないから、結局は人間のエゴで何もかも決まる。こうしてあれこれ考えるのも全部人間のエゴだ。

考えれば考えるほどアドベンチャーワールドの話から脱線していく。
そういえば、個人的に衝撃だったのはエンペラーペンギン。あまりの大きさと威厳に、私の中にあった「ペンギン=可愛い」という方程式が崩れた。
イルカショーのクオリティーは今までに観た中で一番高かったし、パンダもたくさんいて、和歌山にこんな凄い場所があるのか、と驚いた。
この時期は鳥インフルエンザの影響で展示されていない鳥が多かった。フクロウやワシは普通にいた。
ちなみに私が飼っていたのはセキセイインコです。以上です。

人の気持ちを考えられない人間

最近気付いたけど、私は想像力に乏しいのか他人の気持ちがうまく考えられない。自分では考えてるつもりなんだけど、自分が持ってる価値観の中でしか想像できないから、どれだけ考えても自分とは違う誰かが考えてることって全く分かってない。それどころか、自分が人の気持ちを理解できていないという事実にすら気付いていなかった。


最近まで「人の気持ちを考えられない人間」は嫌いだと思ってたし、自分は常にある程度は人の気持ちを考えて行動してるつもりだった。なのに実際は自分も「人の気持ちを考えられない人間」だった。


考え方なんてものは人それぞれで、100人いたら100通りの考え方があるんだと思う。私が「人の気持ちを考えられない人間」だと思ってた人だって、その人なりに何か考えていたのかもしれない。
でも、結局相手に伝わってないのならそれは相手の気持ちを考えたことにはならないのかもしれないし、なったとしてもそれにきっと意味はない。


何を言いたいのかよくわからなくなってきたけど、結論。人は自分とは違う価値観を持っているということを常に忘れないように気を付けて生きようと思う。